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過去に在籍していたスタッフの声

過去に聖隷リハビリテーション医局に在籍していたスタッフをご紹介します。


鶴岡協立リハビリテーション病院 リハビリテーション科部長 福村 直毅

聖隷研修の思い出

妻の弘子と愛犬ピックを連れての研修でした。看護師である妻は嚥下障害治療を担当する看護師になるために外来勤務をしながら一緒に研修させていただきました。マラソンの練習に連れて行ったピックが舌をでろんと垂らしながら走っていたのを思い出します。花火見物や浜名湖たくや漁などチームの皆様と楽しんだことが懐かしいです。

嚥下障害の管理をテーマに脳神経外科からリハビリテーション科に転向した私にとって、藤島先生に丁寧にご指導いただいたことが嚥下障害治療の全貌を理解する上で最高の経験でした。書籍ではわからなかった様々な嚥下代償手技や食形態、食事姿勢の意味を質問するたびに的確かつ簡潔に教えていただきました。嚥下内視鏡研修では藤島先生がファイバーをするすると挿入してみせ、私がまったく挿入できずにいるのを辛抱強く丹念に指導していただけました。

ワイヤレス嚥下内視鏡システムを開発するにいたったきっかけは聖隷三方原病院内を嚥下内視鏡セットを乗せたカートを押して移動する際エレベーターの待ち時間が長くて「階段を使えたらすぐなのに」と思ったことでした。今では無線CCDをポケットに入れて軽快に走りまわっています。

今は妻とともに山形を舞台に駆け回っています。リハビリテーション専門病院から地域の病院、施設、在宅に出向き嚥下診察と指導をしています。教えていただいた嚥下内視鏡を主たる武器にしています。妻は嚥下治療地域連携のかなめとして活躍中です。看護師独自の視点で嚥下障害治療に切り込んでおり地域看護師の教育にも当たっています。

夫婦そろってお世話になりました。これからも聖隷グループのますますの発展を信じて臨床、研究に勤しんでまいります。

聖隷三方原病院リハビリテーション科研修機関 2003年3月~9月
鶴岡協立リハビリテーション病院 
リハビリテーション科部長
福村直毅

北海道大学 リハビリテーション科 千葉 春子

聖隷三方原病院の思い出

聖隷三方原病院では、片桐先生始め、多くの先生のご指導の元、嚥下はもちろんリハビリテーション医としての基本的な考え方や姿勢を教えて頂きました。また、メンバー全員で集まり、勉強会や専門医試験対策をする時間を設けていたというのも非常に有意義なものでした。年齢の近いドクターが多かったというのも刺激になりました。

今まで見たことも無かったアキレス腱延長術や嚥下機能改善術も実際経験させて頂き、さらに、術前後のリハビリテーションも含めて経験でき、まさにリハビリテーション医学の奥深さというものを体験することが出来ました。神経救急の当番では、自分で脳梗塞の診断をして急性期治療を行 うことから始まり、翌日のリハ処方を行い、亜急性期には主治医として受持ち、在宅復帰まで見届けることが出来るというのも、大変貴重な経験でした。半年間の研修でしたが、元の職場に戻った際に「ずいぶん成長して帰ってきた」と言われ、誇りに感じています。

研究においても藤島先生や金沢先生のご指導を受けながら、研修が終わった後でも経験した症例を通して学会発表や論文投稿をすることができました。

聖隷での研修 を通して、広大なリハビリテーション医の守備範囲の中で何が重要かということが明確になったことが、今でも生きています。ありがとうございました。

北海道大学 リハビリテーション科
千葉 春子

西広島リハビリ病院 佐藤 新介

聖隷三方原病院の思い出

リハビリ病棟(病院建て替え前の旧1病棟)の
テラスでガーデニング。
お昼休みの息抜きも楽しみの一つです。

自分が昭和大学リハビリ科から聖隷三方原病院に派遣されたのは、医師になって二年目の春でした。当時は初期研修制度が始まっておらず、現在ならば初期研修中に相当します。それでいきなり聖隷のような超有力市中病院に出てしまったので、藤島先生はじめ多くの先生方やセラピスト、看護師さんたちにご迷惑をお掛けしたと記憶しています。それでも根気強くご指導いただけたことが、その後の医師生活で大いに役立っています。

脳血管障害や整形疾患については超急性期から在宅復帰まで当然のこと、外来診療、救命救急、小児科、聖隷ならではの結核病棟や、緩和ケア病棟、精神病棟、広範な福祉事業まで踏み込み指導医の元で経験できる組織は他にありません。聖隷リハビリ科といえば嚥下リハビリなのですが、それ以外の診療へも幅を拡げられたことが10年以上経った今でも臨床の礎になっています。また研究面では初めて書いた論文が聖隷の臨床データのまとめでした。論旨もぐちゃぐちゃ推敲も不十分で、藤島先生の赤ペンで原型を留めぬほど真赤になった原稿用紙を思い出します。今に思えば「修正するよりも、自分で書いた方がはるかに速いし、よっぽど良いものが書けるのになぁ」というお気持ちだったと存じますが、甲斐があり、摂食・嚥下リハビリ学会の第一回目の論文賞をいただきました。この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと存じます。ありがとうございました。

浜松では飲み会も頻回で、浜名湖のたきや漁など楽しい思い出もいっぱいあるのですが、勤務させていただいた期間はわずか1年6ヵ月でした。20台半ばで濃密な時を過ごすことができた幸運は今でもずっと財産です。余談ですが、浜松が日本一の楽器生産地ということもあるのでしょうか、藤島先生はじめご自ら音楽を嗜まれる先生方が多くいらっしゃいます。ずっと憧憬していたのですが、息子が5歳になりクラシックギターを習い始めたついでに自分も子供教本から始めました。39歳のスタートなのでなかなか上達しませんが、懲りずに続けています。聖隷を経たからこそできた新たな楽しみだと思っています。

西広島リハビリ病院
佐藤 新介

医療法人順和 長尾病院リハビリテーション部 薛 克良

聖隷三方原病院リハビリテーション診療科での研修

私が聖隷三方原病院で研修した期間は、2000年4月から2003年4月の約3年間になります。摂食・嚥下や一般リハビリテーション医療の勉強・経験になったのは当然ですので、その他の点を中心に当時の事を思い出しながら、いくつか述べてみたいと思います。

同じ時期に研修した先生は、大野(旧姓稲生)綾先生と佐藤新介先生になります。新しい職場での、新しい同僚・仲間です。また当時は(現在も恐らくそうでしょう)全国から多数の先生・コメディカルスタッフが、聖隷三方原病院に研修・見学に来られていました。また藤島先生が定期的に出席される東京での会議に同席させて頂くことが多々ありました。それぞれの担当の先生・スタッフとも顔見知りになり、現在でもその関係が続いています。この事は大きな財産になっています。今でも学会や研究会開催時の夜に「聖隷同窓会」が行われます。可能な限り長尾病院のスタッフも参加してもらい、この「つながり」の中に入ってもらう事を意識しています。

聖隷三方原病院診療・医療の役割が急性期・回復期・維持期(ホスピス)・生活期と広範囲に渡っているために、同一病院内でその機能・実際を体験することができました。急性期担当医・外科医・ホスピス担当医・スタッフとの話し合いは、リハ処方・リスク管理・予後予測などの観点で大きな経験になりました。これは長尾病院に就職してから、「回復期リハビリテーション病棟」の運営や急性期・療養病院との情報交換・連携に大変役に立っています。長尾病院は2002年に回復期リハ病棟を立ち上げたばかりでしたので、リハ・病棟スタッフの動き・カンファレンスなどのシステム作り経験を生かすことができました。また診療情報提供書で一方的(例えば急性期→回復期)にもらうだけではなく、急性期病院担当医からリハを進めていく上で必要不可欠な情報を聞き出す・引き出すように意識しているのもこの時期の経験が役に立っています。

色んなことで広がりあった3年間でした。

医療法人順和
長尾病院リハビリテーション部
薛 克良

回復期リハ病棟(兵庫県) 医長 和田 陽介

聖隷三方原病院の思い出

私は5年間の内科医としての研修の後に聖隷リハビリテーションの門を叩きました。リハビリテーション医を志したのは、内科診療の中で廃用症候群や嚥下障害で苦慮することが多く、そこに対応できないと質の高い内科診療はできないと感じたからです。この目的にあった施設を探す中で聖隷三方原病院に行き当たりました。それは、嚥下障害治療で有名であることはもちろん、総合病院の中でさまざまな急性期疾患のリハを経験できること、主治医として患者さんを担当できること、リハ医から指導が受けられること、これだけの条件を満たす病院であったからです。

実際に勤務し、これらの目的を十分果たせたと感じています。VF,VFの手技や経腸栄養のノウハウ、脳卒中のリハ、高次脳機能障害の診かたなど、ほとんど素人の私でも一通り身につけることができました。その後、浜松市リハビリテーション病棟でも勤務する機会を得て、回復期リハ病棟でのリハや病棟運営を学ぶことができました。

現在は兵庫県の中小規模の病院で回復期リハ病棟の医長として勤務しています。前述のことはもちろん役立っているのですが、今から振り返ってみれば、聖隷での効率的なリハの進め方が自分のベースとして大きな意味をもっているように思います。それは急性期病院での限られた在院日数の中で患者さんをきっちり家に帰すことを積み重ねてきた中で培われたものであると思います。また、それを可能にする優秀なリハスタッフや看護師の存在も重要で彼らからも多くのことを学びました。現在の所属施設では、診療の質はまだまだですが、効率的な病棟運営を行い経営的には黒字を維持できています。これも聖隷リハで勉強させていただいた副産物かなと思っています。

回復期リハ病棟(兵庫県)
医長
和田 陽介

東京都リハビリテーション病院 リハビリテーション科医長 武原 格

今につながる聖隷三方原病院での学びと絆

私が聖隷三方原病院リハビリテーション科で藤島先生とお仕事をさせて頂いたのは、平成9年から11年の2年間です。先輩の大熊先生とは2年間ずっと一緒に働き、藤島先生と一緒に様々なことを教えて頂き、支えて頂きました。もう15年経つのだと思うと、時の過ぎ去る早さに驚かされます。

聖隷三方原病院で学んだことは、嚥下障害に関することをはじめ、本当に数多くあるのですが、改めて今振り返ると診療および研究に対する姿勢や考え方が大きいようです。そして当時出会った数多くの良き仲間は、宝物と断言できます。現在、聖隷三方原病院で働いていた当時の仲間とともに、東京摂食・嚥下研究会を運営しております。藤島先生にも陰日向にご協力頂いており、一緒に働いた時に結んだ絆は、たとえ場所や時間が離れても、固く結ばれています。私も様々な職場で働いてきましたが、聖隷三方原病院のような良い職場環境は、人との絆を深めいつまでも支えあえる関係を築くのだと実感しています。

また現在、脳損傷者の自動車運転再開に関する研究や啓発活動を行っております。私は重要なテーマだと思うのですが、研究活動を開始した5年前は周囲から否定的な言葉が多く、心が折れそうなことがありました。でもそこで思い出すのが、藤島先生が「僕が嚥下障害の研究・臨床を始めた頃は、みんな肺炎になったらどうするつもり。危険だからやめた方が良い。」と言われ、否定的な状況から開始したと言った言葉を思い出し、また遠州弁の「やらまいか」に励まされています。
確かに医師として、医学的知識や経験を積むことはとても大事ですが、自分が独り立ちして何かを始めようと思ったときに、重要になるのが先輩医師の言葉や仲間だと思います。また嚥下障害の腕は、急性期だろうと回復期だろうと在宅だろうと役にたち、自信と強味になります。そんな環境が、聖隷グループにはあると思います。

最後に、あっ、そう言えば僕が結婚したのも聖隷三方原病院で働いていた時でした。奥さんと続いているのも聖隷三方原病院での絆の続きかも?

足利赤十字病院リハビリテーション科  中村 智之

聖隷の思い出

 私は、聖隷三方原病院で初期研修を終えた後、平成19年度より聖隷三方原病院・聖隷浜松病院で6年半勤務致しました。回復期は主治医、急性期・維持期・終末期はコンサルト医として、多種多様な疾患・患者背景を持った患者様に関わり、リハビリテーションには何ができるか、何が求めらるか、を理念から具体的な手技まで幅広く学ばせて頂きました。また、診療と並行して大学院で研究する機会も与えて頂き、摂食・嚥下障害を中心に研究指導・学会発表・論文作成・依頼原稿執筆など藤島先生はもちろん経験ある先生方にご協力頂き、学位を取得できました。臨床研究には、聖隷のような市中の基幹病院の方が、実臨床に即したテーマを発見でき、対象例も豊富に存在するのでむしろ行いやすいかと思います。現在、他病院で勤務しておりますが、聖隷で学んだ事をそのままするだけで、患者様・スタッフには大変感謝されます。聖隷で研修して本当に良かったと痛感する毎日です。